【3.11】東日本大震災から11年、当時のことをちょっと振り返りたいと思います。

時事

お疲れ様です、謙虚らいおんです。

昨日3月11日は「東日本大震災の日」でしたね。

早いもので震災発生からもう11年ですか・・・。

地震が発生した2011年、この時私は現職自衛官で、この日は駐屯地で同期や後輩たちと筋トレをしていた記憶があります。

東日本ほどではありませんが、私がいた地域も結構揺れた記憶があります。

最初は私の頭の血管が切れてしまったのかと錯覚したくらい目の前が揺れましたから、結構ビビりましたね。

それから間もなくして、本当に間もなく「駐屯地にいる全自衛官は連隊本部前の朝礼場に集合せよ」というアナウンスが流れたんですよ。

さらに上司(上官)はこう言いました。

「服装は何でもいい、何でもいいからさっさと集まれ」・・・と。

これってただ事じゃないんですよ。(自衛隊は身なり・服装に関してはメチャクチャうるさいですから)

まぁ言われた通り筋トレしていたので、ジャージ姿でそのまま集合場所に行きましたよ。

そして、駐屯地にいる全自衛官の集合が終わり、連隊長から報告を受け始めて東日本大震災のことをしりました。

そのあとすぐ、現地の映像を見させてもらいましたが地獄絵図でしたね。

普通の人ならトラウマになるレベルでした。

その日のうちに災害派遣部隊の編成が組まれ、初動部隊の隊員はそのまま東日本・東北地方に前進しました。

私は残念ながら現地には行かせてもらうことができず、駐屯地での当直及び警衛所勤務でした。

正直悔しかったです。

もちろん、当直や警衛所勤務も大事な仕事です。

それは分かってます。

ですが悔しかったです。

お恥ずかしい話、私は頭はよくありませんが体力だけは自身がありました。

今もあります。

こういった時に役に立てなくて何のための自衛官やと・・・。

ですけど、現地には行かせてもらえませんでした。

理由は今でも分からないです。

ですが後に現地に行っていた自衛官の話では、現地のあまりの悲惨さに心を病んでうつ病になった者や精神的疾患で退職した者もいたので、その部分では私は救われたのかもしれません。

繰り返しになりますが現地は本物の「地獄」そのものだったそうです。

それからなんやかんやあって震災から今年で11年。

毎日を平和に、のどかに過ごせています。

本当にありがたいことです。

明石家さんまさんの名言でもあります

生きてるだけで丸儲け

この言葉、現存する日本語で最強クラスの名言と思います。

自分で言っておいてなんですが、理由は分かりません。

私の「本能」がそう言っています。

ですが、何でもない毎日を日々過ごせていることを感謝させてくれるのが「平凡」とか「日常」ということなんでしょうね。

これからも「3.11」の出来事を忘れずに生きていければいいと私は思います。

それだけで人生にプラスになるでしょう。

今回はここまでです。

次回も宜しくお願いします。